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今日は、昨日に引き続き早起きしなければならない。ワットの背後から昇る朝日の見学だ。GPSのデータでは、この緯度経度での、日の出は5時59分となっていたが、ガイドの話では6時20分頃とのこと。とりあえず顔だけ洗って、迎えの車に乗る。例によってチェックポイントでパスを提示してワットへ向かう。さすがに早朝と言うことで、ワットの前の濠の付近には観光客もあまりいなかった。いそいそとワット入り口の、でこぼこの回廊を歩いてベストスポットへ向かう。入り口の門をくぐったところには、なんと日の出目当ての観光客がかなりの人数来ていた。とりあえず正面付近は、立て込んでいるので、左側に移動して日の出を待つ。しかし、今日は朝靄がかかっていて、あまり期待は出来そうもない。それでも、皆、ベストショットを撮ろうと、それぞれにカメラを構えて待っている。アメリカ人らしい体格の良い男性は、旅行に持ち歩くには持てあましそうな、立派な三脚を構えて構図を決めていた。しかし、期待もむなしく、肉眼でほんのり赤い物が確認できた程度で、カメラのモニターには太陽の姿をとらえることは出来なかった。
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朝靄に霞むアンコールワット 残念ながら太陽は霞んでよく見えない(実は人がいっぱい)
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名残惜しげな観光客もいたが、我々はさっさと諦めてホテルへ戻り、朝食を摂る。バイキングと聞いていたのだが、ボーイがそのまま席に着いていろという。アジアンか、コンチネンタルかと訪ねられる。どうやら今朝は定食メニューらしい、息子はコンチネンタル、私とIさんはアジアンにした。どれも、いつも食べている普段の食事のように抵抗無く食べられる。食後のコーヒーはかなり濃いめだ。紅茶は...というと、これが紅茶?といいたくなるほどの代物で、お薦めできない。
アンコールトム
今日はアンコールトムへ向かう。トムはワットと違って都市の跡だ。ワットへの道を過ぎて、さらに北へ向かう。有名な南大門の前で車を降り、濠にかかる橋を渡る。緯度経度は、それぞれ北緯13度25分35.0秒、東経103度51分34.3秒。(こんなデータは、普通の人にはどうでも良いと言われそうですが..)橋の両サイドにはナーガ(巨大な蛇)の胴体を抱えた阿修羅の像が並んでいる。絵葉書などにもなっている、超有名な場所だ。さすがに早朝にも関わらず、多くの観光客が来ていた。トムを取り囲む城壁の高さは8mもあり、門の部分は幅が3mと観光バスでも悠々と通り抜けることが出来るほどだ。歩いて門を通り抜けると、我々の車が待っていた。
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南大門前の道路・両側にナーガを抱えた阿修羅像が並ぶ
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てっきり、このまま歩いていくのかと思っていたら、ここからまた車。バイヨン寺院までは1.5キロもあるそうだ。歩いていては時間がもったいない。車はバイヨンの手前の道を右折し、東側の門の前に停車する。う〜む、凄い!聞きしにまさる大迫力!回廊の外壁には膨大なレリーフが施されている。図柄は庶民の日常生活や、戦闘場面の後方で家族ぐるみで料理を作ったりしている。第2回廊には乳海攪拌やガルーダにまたがるヴィシュヌ神、象に乗った軍勢、有名な観世音菩薩像などだ。クメール人と中国人がはっきりわかるように描写されているのが興味深い。
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アンコールトム・バイヨン寺院
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レリーフの回廊
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中央祠堂の尖塔
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中央祠堂には16の尖塔が立ち並び、その4面にはそれぞれ巨大な菩薩像が彫り込まれている。これを作った、ジャヤヴァルマン7世は、よほど親好深い人だったのだろう。それにしても、痛みが激しい。高温多湿で雨が多い上、砂岩で作られているので全体にもろいのだ。しばしの間、古代のロマンにふけりながら写真を撮りまくる。
GPSデータ 13°26′31.5″ E103°51′32.0″(左端の写真)
象のテラスは全長300m程の石のテラスだが、その名の通り、テラスの基壇の壁面に無数の象の彫刻が施されている。テラスの上、そのものは、さほど見るべき物はないが、いったい何頭の象が彫られているのだろうか?象のテラスの道路の向かい側に修復中の建造物がいくつか見えた。
タ・ケウ寺院
ジャヤヴァルマン5世によって造営が始まったが、未完成のままとなっている。多くの石材が放置されたままだ。それにしても、どうしてアンコール遺跡群の建造物って、こんなに階段が急なのだろうか?
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王の死によって未完成となっている
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壁面の彫刻は見あたらない
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樹木で覆われたタ・プロム寺院
トムを後にして、巨大な樹木に被われた遺跡で有名な、タ・プロムへ向かう。要領を心得た現地ガイドが、有名スポットを次々と案内してくれる。その、樹木の巨大さは圧巻だ。タ・プロムに入ってすぐに、板根が大きく張り出したガジュマロの木が目に入る。その根元には、丁度人の顔位の大きさの穴が空いていて、ここで記念写真を撮る人が多いのだそうだ。私は逆に穴の向こう側から覗くように写真を撮影してみた。
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内側から
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外から見ると...
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やがて、建物に近づくにつれて、ガジュマロの根にがんじがらめに被われた遺跡群が見える。本当に凄い。ここは、殆ど修復が行われておらず、自然の驚異をまざまざと見せつけられる。次々と増築されたそうで、かつては5000人もの僧が住んでいたそうだ。内部は迷路の様に入り組み、実に神秘的な雰囲気だ。ここは修復されていないと書いたが、あえて修復をしないままにしてあるとのことだ。もともと、このガジュマロは成長が早く、根の構造が水分を吸収しやすくできている。乾期には殆ど雨の降らない地方だが、雨期には毎日たくさんの雨が降る。砂岩で出来た建物はたっぷりと水分を含み、乾期に水を求めて、建物を根で覆い尽くしたというわけだ。
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GPSデータ N13°26′06.0″ E103°53′25.3″ ご覧の通りの大迫力
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午前の観光を終えると例によって市内レストランで昼食だ。これまたガイドブックに掲載されていない店だったが、中華系のフゥインミェンというレストランだ。残念ながら店名は日本の文字では表現できない。昼の時間にも関わらず、客もおらず、薄暗い。我々一行は、店内奥のオープンカフェ風の中庭の一段と高くなっているテーブルに案内された。今日は汗もかいたのでアンコールビール、Iさんも別銘柄のビール、息子はソフトドリンクを頼んだ。皿にライスを盛ってくれる。野菜炒め、骨付きの肉類も出ている。どれも美味しい。しかし、給仕の若い女性がすぐそばに立っていて色々世話を焼いてくれるのは良いのだが、やはりあまり落ち着かない。食事をしながらIさんと、いろんな世間話をする。今日の午後の観光は休憩を挟んで、午後3時からなので、近くにあるはずのオールドマーケットへ行きませんか?ということになった。飲み物代4.5ドルを支払うために、5ドル札を出して”ソム・ルイ・アップ(お釣りをくれ)と言ったら、向こうのカウンターにいた現地人らしい人に笑われてしまった(けちな日本人が来た)とでも思ったのだろう。私はリエル(現地通貨)の札が見てみたかっただけなんだけどね。その札は、思いがけず新券の1000リエル札だった。1枚は記念にIさんに差し上げた。町中では1ドルが4000リエルで通用しているので、全く現地通貨を持たなくても少額のドル紙幣があれば買い物は不自由しない。
オールドマーケット
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オールドマーケット果物屋のおばさん
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昨夜の雨で水溜まりが出来ている
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裏路地のカフェ
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ガイドのロタさんが、”そろそろホテルへ戻りましょう”と迎えにやってきたので、事情を話して”時間までにホテルへ戻っているから...”と話すと、オールドマーケットまで車で乗せていってくれることになった(ホテルより遙かに近いしね...)オールドマーケットまでは車でほんの2〜3分、ガイドのお薦めの店、という店の前で車を下り、店の中を覗いてみる。結構片言の日本語が帰ってくるが、それほど買って帰りたいと思うような物はない。ぐるぐる歩き回っていると生鮮食品を売っている一角に出た。魚の干物が奇妙な形に開かれて干されていた。いくらか生臭いが、耐え難いほどではない。その向こうには果物を売っている一角があった。マンゴスチンが山のようになっている。日本で買えば安くはないが、いったい幾らかなあと値段を聞いたら、キロあたり5ドル。食事をしたばかり、そんなにはいらないなあ...と、適当に5〜6個秤に載せる。500gしかない、面倒なのでライチ、ブドウなど適当に取り合わせて1キロ程買う。支払いを済ませてから隣を見るとドリアンが並んでいる。日本で買えば4000円はする、参考にいくらか訪ねたところなんと、1.5ドル!思わず1個、割ってもらうことにした。さすがに手慣れていて、あの固い殻をいとも簡単に割ってくれる、中身だけをビニール袋に入れてくれたので、袋をもう一つ余分にもらい、Iさんに、手袋代わりにお渡しして、歩きながら食べる。”多分、食べきれなくてもホテルへ持ち帰ることは出来ないだろうなあ..”と話しながら、満腹になっているはずのお腹に詰め込む。とうてい3人では食べきれない。
裏路地のカフェ
郵便局へ行って葉書を出してこようということになり、シェムリアップ川沿いの道を北の方へ向かって歩きだした。さすがに昼下がり、かなり暑い。人通りはあまりなく、道はでこぼこ、あちこちに昨夜の雨の水たまりが出来ている。途中まで歩いてきたところで、今日は日曜日だったことに気がついた。これでは郵便局へ行っても休みだろう。いたしかたなく小児病院の通りを左折してホテルの方向へ向かうことにした。センターマーケットのある通りだ。センターマーケット(の有るはずの場所)へ着いたのだが、モダンな新築ビルがあるだけで、マーケットらしい物は無い。な〜んだ、つまらないなあ。通りを横断して、この町一番のメインストリートである、シヴォタ通りをさらに北へと進む。通りの向こう側には何やら、細い小路があって全く舗装もされていない。”こういうところの方が面白いんですよ”と話しながら、その通りへ行ってみる。店らしい物は何もない。そのうち、息子が”暑い暑い”と、むずがり始めた。”じゃあ、どこかで冷たい物でも飲もう”と、その先にあった路地を左折して、地元のカフェへ入った。屋根はよしずの様な物を被せただけの簡素な作り、客は地元の人が2組だけ、籐のいすに座ると客席の上の天吊り扇風機が生ぬるい風を送ってくれる。客のいる席だけしか回さないようだ。それでも外から入ってきた者には有りがたい。ビール2缶とコーラで4.5
ドル。休んでいるうちに、午後の観光まではまだ1時間半もあるし、アキ・ラの地雷博物館は市内から4キロ程のところにあるはずだから、タクシーで行けば十分に間に合いそうだ。せっかくだから行って来ちゃいましょうということになり、”善は急げで”急いでシヴォタ通りへ出ると、丁度うまい具合にトクトクタクシーがやってきた。往復で幾らだ?と訪ねてもどうも要領を得ない。そこへ別なバイクタクシーの少年がやってきて、片言の日本語で、そこは遠いから云々..と言う。まあガイドの話じゃホテル〜市内間が、概ね1ドルだというから、3人分を往復で5ドルに値切った。
アキ・ラの地雷博物館
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違う!そっちじゃない!
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そうそう、こっちこっち
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風は生ぬるいが気持ちいい
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やっと見つけた
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本物の地雷(火薬は抜いてある)
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再現された地雷原
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走り始めたトクトクは6号線へ出ると左折して西の方へ向かって走り出した。地雷博物館はもっと北の方にあるはずだ。不審に思ったが、地元の人間だ、近道でもあるのかとしばらく様子を見たが、いっこうに向きを変えない。さては彼は戦争博物館と勘違いしているのではないかと思い、声をかけた。”我々はマイン・ミュージアムへ行きたいんだ”だが、彼は知らないようだ。仕方なく、インターネットで予め調べてあった地図を広げて”ここ、ここ、サラモンティー・ミーン”と伝える。すぐに方向転換して、シヴォタ通りまで戻ると、今度は左折して、北の方へ向かう。結構走ってきたなあと、思う頃チェックポイントまで来てしまった。こんなに遠いのかなあと、思いつつ、さらに北上すると、やおら狭い道へ右折した。”ああ、やはり彼はわかっているな”と思い、そのまましばらく進んだのだが、それらしき物は何もない、左折しなければならないはずなのだが看板も何もない。先へ進むと小さな路地があり、その角に一軒の小屋があった、少年はそこで何やら訪ねているのだがいっこうに要領を得ない。さらに先の方に小さな青い看板があったので、そこまで行ってみたが、博物館の看板ではないようだ。致し方なく、さらにもう少し先へ進むと、その突き当たりにはアンコール動物園というのがあった。ガイドブックによれば、少し北へ行きすぎているようだ。少年は動物園の前の小さな店で何やら訪ねた。そしてようやくわかったらしく、動物園の前を右折して南の方へ向かう。トクトクタクシーでさえまっすぐに行けないような、でこぼこを迂回しながら走るのでスピードは出ない。やがて、ようやく地雷博物館の前へ出た。少し待っていてくれるように話して博物館へ入ってみる。博物館と言っても、個人で運営している施設なのでそんな立派な物ではない。ただ、私はこの運営者であり、ボランティアで地雷の撤去をしてりるアキ・ラ氏に、なにがしかの寄付をしたいと思ってやってきたのだ。息子はこの手の物が好きなので興味深そうに眺めていた。奥の方には地雷原を再現した展示物があり、柵で囲われていたが、二人の子供がサッカーのまねごとをして遊んでいた。そのうちの一方の小学校くらいの男の子の両腕は肘から先が無く、手も指も1本も無い状態だった。もちろん地雷の被害者だろう。この子は大きくなってもバイクタクシーやトクトクの運転手にもなれないだろう。胸が痛んだ。カンボジア全土には、まだ600万個の地雷があって、全部除去するにはあと150年はかかるだろうとの話だ。日本でもまだ、第二次大戦中の不発弾が見つかったりすることもある。戦争の傷跡が癒えるのはいったい、いつになるのでしょうか?カンボジアにも早くそのような時代の到来することを祈ってやみません。
PS アキ・ラの地雷博物館は見学無料ですが、行かれた方は、是非、地雷撤去の費用にいくばくかの寄付をしてください。中央の建物に寄付金箱が備えてあります。
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さて、どれが地雷でしょうか?
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模擬地雷原
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N13°23′21.5″ E103°52′24.5″(地雷博物館)
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地雷博物館を後に、トクトクでホテルへ戻る、道は相変わらずだが、対向車なんて皆無、途中でエンスト、すかさすキックして、エンジンを始動すると少し太い通りへ出た。これを右折(西へ向かう)とワットへのメインストリートへ出るはずだ。少し走って、ああ、あれがメインストリートかなあと思われる辺りへ来たところでまたエンスト、今度は幾らキックしてもエンジンがかからない。なんと!、どうやらガス欠のようだ。少年は慌てて、少しまっていてくれの仕草をして、通りの方へ掛けだした。やがて黄色い液体の入った、ペットボトルと金属製の漏斗を掴んで戻ってきた。いやはや、メインストリートに近いところで良かった。離れたところでガス欠したら、アウトだったなあ!ガソリンのボトルをもって戻ってきた少年の底抜けに明るい笑顔が、とても印象的だった。無事エンジンが掛かり、何事もなかったかの様に走り出し、道ばたの露天でボトルと漏斗を返し、幾ばくかのお金を払うと、市内に向かう。
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ペットボトルで売られているガソリン
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ところが、彼は、またまた道を間違う。”ホテルはあっちだ”...と、方向転換。(若い運ちゃんは避けた方が良さそうです)やれやれ、ようやく2時半にホテルへ到着。なかなかスリリングで面白い小旅行だった。Iさんは、”初めての土地で、よくそんなにわかりますねえ”と呆れるばかりだった。(ははは...、私にはGPSという強い味方があるんです。今回の旅ではGPS
は大いに役立った)おまけに、今回は GPS情報を記録できる、特殊なカメラを持参しているので、撮影した写真には位置と方位のデータが同時に記録されている。(GPS電波の届かない所は無理)
プリア・カーン/ニャック・ポアン
ホテルでシャワーを浴びてさっぱりしたところで、今度はプリア・カーンへ向かう。プリア・カーンはトムの北側にあり、ジャヤ・ヴァルマン7世が戦勝記念に建てた寺院だ。入り口に参道にはリンガを模した砂岩の彫刻が、ずらりと並んでいる。これにはガルーダなどが彫られているが、意図的に削り取られてしまった物も多く見受ける。ここの建物は木造建築の様式で、そのまま石で作られており、他には例がない。積み上げられた石には無数の穴が空いていた。屋根が落ちたり、崩れかかった壁に崩壊の進むこの遺跡群の無情を感ずる。中央祠堂の真ん中には大きなストゥーパがあった。以前はもっと高かったらしいのだが、天井からの落石で崩れてしまったのだそうだ。
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プリア・カーン参道
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かなり崩壊が進んでいる
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中央祠堂のストゥーパ
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車はプリア・カーンからさらに東の方へ向かいニャック・ポアンへと進む。ニャック・ポアンは道路から少し歩いたところにある。中央の円形祠堂を取り囲む正方形の池を囲むように、4方に4つの小さな池がある。池といっても乾期の今は、水はない。4つの池にはそれぞれ中央の池から水が流れ出てくるようになっていて、それぞれ、水の吐出口は馬、象、人間、ライオンの東部が設置され、かつては、その口から水が出ていた。ここもジャヤ・ヴァルマン7世が作ったそうだ。
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ニャック・ポアン入り口
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ニャック・ポアン(水はない)
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気球搭乗
さて、予定では、この後、バライを経てスラ・スランへ向かうはずなのだが、ガイドと運転手がなにやら話している。どうやら早めに切り上げて、気球乗り場へ向かうことになったようだ。数年前からここの観光名所になっている気球は、一度に30人ほどの人が乗れるそうだ。ワットの前の気球乗り場へ引き返す。うまい商売を考えた人もいる物だなあと思っていたが、考えてみたら雨期の半年は気球を浮かべることも出来ないだろう...後の半年でどれだけ稼げるのか?余計なことを考えてしまう。気球乗り場では、人数があるていど貯まるまで少し待機する。火の気と水のボトルは入り口で取り上げられた...まさか水素ガスを使っているんじゃないだろうなあ...ゴンドラは思ったよりも大きく、鉄パイプを組んで作ったドーナツ状をしていた。我々一行の他には、かなり体格のよろしいアメリカのご婦人二人、その他数人で、発進の合図と共に全く無音で上昇していく。心なしか(というより、確実に)例のアメリカのご婦人達の方へゴンドラが傾く。失礼ながら2人で我々3人分は確実にありそうだ。気球の係留所の中央にウィンチからの滑車があって、ワイヤーがするすると伸びていった。上空からの眺めは見渡す限りの緑と土の地平線で、北側には先日行ってきたプノン・ヴァケン、東にワットが見える。遠くの方は靄で霞んでおり、最高の条件ではなかったが、素晴らしい眺めだった。今は茶色の地面も雨期には水田となり、辺り一面緑になるのだろうな。気球の直下を通り、ワットの方へ向かう運河にも、一滴の水もなかった。
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30人乗りの気球
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地上200mから
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もやに霞むアンコールワット
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簡単な計器板があった
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スラ・スランをパスしたせいか、今日も時間が余ってしまった。市内へ戻る道すがら、また土産物屋へ連れて行かれる。売っている物は昨日の店と似たような物だ。銀製品の小物を買おうかと思ったが、どうせこういうところは、市内のマーケットから比べたらとんでも無い価格で売っているのだろうと、さっと見ただけで、無料喫茶コーナーで、冷たいお茶を飲む。息子が何やら、欲しい物が有ると言ってやってきた。どんな物が欲しいのか行ってみると、最近、どこの国でも見かけるクリスタルガラスのブロックの中に、レーザーを使ってワットの絵柄を彫り込んだ置物だ、価格は、なあ〜んと、50ドルもする。”これはダメだ、別の物にしなさいと言うと、今度はもっと大きくて重いワットの模型。これはなんと100ドル近い..こんな大きくて重い物は持って帰れないから...と諦めさせる。おつき合いにわずかばかりのお菓子を買った。この店でも、”奥さんが向こうで**買っているけど、迷っているから云々”とか言われて、また家族連れと間違われた。どう見てもそう見えるよなあ..と苦笑する。
アプサラダンスショー
夕食はクーレンIIという市内でも有名な大きなレストランだ。ここは、毎晩アプサラダンスのショーがあり、それが目玉となっている。(他にもダンスを見せてくれるレストランは何軒か有るらしい)料理はカンボジア、タイ、中華、コンチネンタルと多彩で、バイキングなので、アジアン料理に少し、飽きてきた人にも丁度良いかもしれない。生春巻きや揚げ春巻きが美味しかった。セラーにはなんとフランスワインなども置いてあり、なじみのヴァン・ド・ペイ等も何種類か、あった、しかし以前と違って、1本は飲みきれないしなあ、1時間ほどのショーはなかなか見応えがあったが、息子は少々持てあまし気味...早くホテルの部屋へ帰りたいと愚図ったが、どうにもならない。ステージの屋根の上には満月に近い月が光っていた。さすがにダンサーの女性達は皆、若くて美人だ。普段は、あまり見慣れないダンスだが、タイのダンスに似ているように見えた。しかし、ガイドによるとタイのダンスとは全く違うと言っていた。まあ、たしかに動きが、かなりゆったりとしていたかな...。このシーン、ストロボを使用していないので動きの激しい部分ではピンぼけとなってしまった。
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レストランクーレンIIのアプサラダンスショー
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N13°21′43.2″ E103°51′22.9″
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ホテルへ帰って、すぐに昼間の埃と汗を流す。先ほど買っておいた果物が丁度いい具合に冷えている、早速マンゴスチンやマンゴーなどの果物を片づける。どうせ明日は帰国だ。胃袋へ入れなければ持って帰れない。晩にあまり食の進まなかった息子も果物ならば、何とか食べてくれた。明日は夕刻の飛行機で帰国の運びだ。
エアコンが効いてきて快適だ。今回は2人で来ているので、帰りの荷物はバックとザックの二つに分けて公平に分担する。日曜で、出し損ねた絵葉書を取り出し、もう一通をしたためて、明日ガイドにでも頼んでおこうと封筒に入れてまとめる。後は寝るまで何もすることはない。今回は荷物になるのでパソコンは持参しなかった。あとから紀行文をまとめる為のメモも一切書かないでしまった。せっかく用意してきたボイスレコーダーも全く使わずじまいだった。とりあえず、昨日からの行動を、行き先順に簡単にメモっておく。やはり写真は、時系列になっているので、非常に有り難い。ほんの数年前はデジカメのバックアップに為にパソコンやハードディスクを持ち歩かなければならなかったが、最近はメモリーカードの容量も巨大化して、たった2枚のメモリーカードだけで、十分な枚数の写真を撮ることができるようになった。次回の旅の頃には、1枚で間に合ってしまうだろうな...。
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