7. 3月18日 チュニス/カルタゴの遺跡・メディナ 

 早朝、このホテルの“最上階カフェテラスからの眺めが素晴らしい”とガイドブックに出ていたので行ってみようと試みる。しかし、例によってエレベーターでは上に行けない。階段を登っていったがドアがしまっていた。そこで従業員専用の階段を登っていってみると屋上へ出ることが出来た。噂通り市内が一望できる。昨日行ってみたメディナの入り口のババウ・ブハールもちょっぴり頭の部分が見える。昨夜は結構雨が降った。道路が濡れている。まだ、わずかに雨が残っている。だが、心配するほどのこともなく、バスに乗る頃にはすっかり上がっていた。

エルハナの屋上からの眺め/メディナの入口がちょっと見える→

カルタゴの遺跡

 長かったようであっという間のチュニジア旅行もいよいよ、今日で終わり。まずはチュニス近郊のカルタゴの遺跡数カ所を訪れる。最初に行ったのはトフェと呼ばれる聖域。ここは言ってみれば、子供たちのお墓の跡。古代カルタゴでは、生まれたばかりの子供や幼児をバール・ハモン神(古代フェニキアの神)やタニト神(カルタゴの守護神)への生け贄として殺していたそうだ。これは凡そ700年間にもわたって行われ、炭化した子供の骨が積もり積もって地層のようになっている。しかも身分の高い人の子供ほど御利益があると言われていたらしく、今でも殺された子供たちの墓が残っている。子供たちはなんと首を切られ、燃えさかる火の中に投げ入れられたそうだ。

注)トフェという名は聖書に登場する、エルサレムの近くの、乳児を火に投げ入れる儀式が行われていた谷の名前だそうだ。1920年代以降カルタゴの聖地を呼ぶ呼称になっているとのことだ。

生贄をささげた台

子供達の墓

 ビュルサの丘 ローマに滅ぼされたフェニキア人が築いた、カルタゴ市の中心で小高い丘の上にある。フェニキアの王女、エリッサがここに都市を建設するに当たり、現地人からビュルサ(牛の皮)一枚分の土地しか譲れないと言われた。彼女は牛の皮を細長く切り裂いて紐を作り、それで囲った広大な土地を入手したのだという。どこかで聞いたことのあるような話だ、アメリカ西部開拓時代に白人がインディアンから土地を手に入れるとき、この手を使ったなんて話、聞いたこと有りませんか?

遺跡からは、海の方まで見渡すことが出来て眺めが素晴らしい。ローマ人はカルタゴを滅ぼすと、塩をまいて耕作不能とし、カルタゴの都市の上に自分たちの都市を築いた。カルタゴ時代の住居跡はローマ時代の地層の下になっており一部が発掘され、公開されている。全体にローマの住居よりも狭い感じだ。しかし、建物は石造りのしっかりしたものだ。春先の柔らかな日差しを受けて、ぽかぽかと暖かい。住居跡に座ってみると、往時が偲ばれる。ここには小さな博物館もあって、カルタゴ時代の土器、ランプ、モザイク等の展示がある。建物の一部が工事中で見学できず残念だった。

  最後は、海に面したアンニトニヌスの大浴場跡 なんと2世紀に建てられたという、ローマの浴場跡。ローマ人は風呂が大好きだったのだろう。ここ以外にもローマの浴場跡って各地にある。ここの浴場は部屋数100を超える大規模な物。現在の遺跡は1980年代にユネスコの協力で復元された物とのこと。今でも少数の作業員がなにかやっている。付近には大統領官邸があり、警戒が物々しい。迂闊に官邸の方の写真を撮るとカメラごと没収されちゃうそうだ。風呂につかう水は、60キロも離れたザグアンから例の水道橋を使って運ばれてきたという。5世紀頃に外敵の侵略によって破壊され、大理石や花崗岩は建材として略奪されてしまったそうだ。

ビュルサの丘

住宅跡

市街地や海まで一望できるビュルサの丘からの眺め

昼食のためにチュニス市内へ戻る。

 エルハナホテル近くのレストラン、どうやら映画館と併設になっているようだ。怪しげな映画のポスターを切り抜いてパネルにした映画のキャラクターなどが飾られている。一番奥まったところのちょっと薄暗いテーブルに当たってしまった。窓からの光が逆光で眩しい。若い男の子のウェイターはきびきび動いているが、こちらが何かを頼んでもなかなか持ってこない。料理の出方はあいかわらぬチュニジア式でのんびり、ゆっくりだ。なかなか次の料理がやってこない。最後にミカンとオレンジが出て料理はお仕舞い。例のウェイターは、厨房の前のテーブルに、下げてきた食器類を分類もせずに、ただただ積み重ねるばかり、あのままではいつか崩れてしまうのではないかと余計な心配をしてしまった。気が付いてみると、この店には若いウェイトレスもいる。しかもミニスカート姿だ。やっぱり首都だなあと感じる。

メディナ

 昼食後、最後のお楽しみのメディナだ。昨日は店があいていなかったので面白くなかったが、今日は楽しめるだろう。レストランからメディナへは歩いて行く。人数が多いことと、付近の人通りも多いと言うことで、添乗員から私とMさんには一番後ろから来て、脱落者が出ないように気を付けて来て欲しいと言われる。よっぽど旅慣れていると思われたらしい。メディナまでブルギバ通りを歩く、昨日も歩いた見知った通りだ。ババウ・ブハールから、メディナのほぼ中央にあるグランドモスクを目指す。狭いながらもメインストリートとも言える、ジャマー・ジュトナ通りに入る。人通りは非常に多い。広くなったり狭くなったりしている通りを、多くの人が行き来しているので、我々の一行もついつい行列が長くなってしまう。言われたとおりに最後尾について、急ぎ足で歩いていった。やがて一行はグランドモスク前へ到着。

 ここで解散して自由行動となる。私はMさんと連れだって西の方へ行ってみる。途中で北の方へ曲がると貴金属や金物を売っている界隈に出た。さらに東へ曲がりしばらく進む。通りの名前は解らないが衣類や布地ばっかり売っている界隈を過ぎて、ぐるりとモスクを迂回するように進む。もう、どの当たりなのかよく解らなくなってくる。やがて、歩いているうちに、仲良くなったSご夫妻に遭遇した。同じ方向へ行かれるというので、しばらく、東の方へ進む。通りを行くに連れて売っている物が少しずつ変わっていく。香水(エッセンシャルオイル)を売っている店がずっと続いたかと思うといつの間にか食料品屋ばかりになったり、各種ハーブ(乾燥した植物体を丸ごと)ばっかり置いている店が並んでいたりと、歩いていても飽きない。そのままどんどん歩いていくとやがてメディナの外へ出てしまった。同じ通りを戻ってもつまらない、とばかりに外周に沿って右回りに進んで、あまり人通りの無い通りから再びメディナの中へ入る。

 地図を持ってきていないのでいったいどの当たりなのかさっぱり見当も付かない。道路の両側は、ほとんど一般の住宅みたいな所で商店はあまり無い。時間までに元のモスクへ戻らなければならず、ちょっと焦る。メディナの中の道路は真っ直ぐ歩いてきたつもりでも、緩やかなカーブになっていたりして、いったいどちらが北なのか南なのかも解らなくなってしまいそう。分かれ道へ来るたびに、あっちだこっちだと言いながらモスクの方と思われる方向を目指す。なにやら建築関係の部材を作っている工場らしき物まである。右だ、左だと進むうちに見覚えのある通りへ出た。もう、あまり時間もないのでここからは、来た道を逆にたどって戻ることにした。到着したのは集合時間のほんの数分前、どうやら私の時計が7分も遅れていたようだ。危うく皆さんにご迷惑をかけてしまうところだった。残ったわずかな時間で水の買いに行った。再び最後尾についてメディナの外のバスの待機している所へ向かった。

 おなごり惜しいが、これですべての日程を消化した。バスはチュニス空港へと向かう。空港でのチェックインの時には、かなり旅慣れていると見られたMさんが添乗員に“お荷物少ないでしょうから、先にチェックインして皆さんのお手伝いをお願いします”と頼まれた。で、私とMさんが一番先にチェックインをして、順次、皆さんの出国カードの書き方や、座席番号のチェックのお手伝いをした。全員がチェックインを済ませると、同じく最後尾について出国ゲートに向かう。ところが、ゲートに入る直前に一人の女性の方が“クレジットカードを無くした!”と言い出した。“どうすればいいでしょう”と私に聞かれても“すぐにカード会社へ連絡するしかないでしょう”としか言えない。添乗員に話し、その場で少し残っていたディナールを、電話代にカンパしてさしあげた。後のことは添乗員に任せ、出国する。

 免税店を覗いていたら、あれほどさんざん探していたSIDI SAADを見つけた。2本で1箱に入っている。価格は思ったほど高くはなかったが、2本となるとやや嵩張ってしまうので、ためらっていたら、後からやってきた添乗員が“いろいろお世話になりました”と声をかけてきた。件のワインの事を“ここでやっと発見しました”なんて話したら、“そうなんですかあ、私も一度も飲んだこと無いから、お礼代わりに私が2本買って、一本差し上げます”と言われ、おもいがけなくSIDI SAADを手に入れることができた。

 パリまでの2時間はあっという間。だが、バリでのトランジットは1時間しかない!格安ツアーの定石で、座席は後ろの方だ。それゆえ、飛行機から降りるのに時間がかかる。急いで飛行機を降りたところで、添乗員から座席の番号について連絡がある。同室の方が隣に座れるように調整してくれた。私とMさんは、お手伝いしてくれたからと、それぞれ通路側の席を確保してくれた。一行の最後尾について、走るように空港内を移動する。出発ロビーに付いたところで、すぐに搭乗。ぎりぎりセーフだ。成田行きに乗ってさえしまえば、とりあえず安心だ。ソースのかかった機内食の魚が実に美味い。帰国便の12時間は殆ど寝て過ごしたので、あっという間だった。

 成田でも降りるのに時間がかかる。バスの出発までわずか30分。入国後、挨拶もそこそこに、荷物を抱えてバスの切符売り場へ走る。残念無念、ほんの数分前に出たばかりだった。まあ、1時間後に最終バスがあるので、その切符を買う。お世話になったMさんを空港駅の改札口まで見送り、“じゃあ、またね。”と、お別れする。本当にさわやかな人だ。また機会があれば、どこかへご一緒したい。しかし、いくら気が合うからと言っても彼女は独身女性。そういうわけで、今回、家内には余計な心配をかけてしまったが、神掛けて、疑われるようなことはしていない。何も言わず送り出してくれた家内には感謝している。はじめて踏み入れたアフリカの大地は、強烈な印象を残した。帰国してからも数日間は、あのマトマタの荒野が夢にまで出てきた。”旅”って、なんて素晴らしいのだろうか。帰国したばかりなのに、次の旅行計画を考えている私であった。イスラム圏は面白いけど、少々埃っぽい。次回はぐっと趣を変えて、違うところへ行こうかなあ....。

  

チュニジアへ行ってみたい人への注意事項

ソフトモスリムといってもイスラム圏だ、女性は肌を露出しすぎないように注意されたい。

ツアーで泊まるようなホテルはどこも綺麗だが、バスなどの設備に期待し過ぎてはいけない。水のシャワーが出るだけで十分と心得よ。

世界一ホモの多い国、男といえども油断は出来ない。特に個人で手配して砂漠ツアー等に行くときは厳重注意とのこと。女性だけで参加というのは絶対に止めた方がいいそうだ。

両替は銀行か大きなホテルでできるが、田舎のホテルでは出来ないこともある。空港の銀行でさえトラベラーズチェックが使えない場合があった。ドルの現金が良さそう、物価は安いので、多額のお金は不要。ちなみに私が滞在中に使ったのは100ドル相当分(若干残った)。一度に両替せず、少しずつ替える事。

公用語はアラビア語とフランス語 ただしアラビア語と言ってもアンミーヤと呼ばれる方言なので、どうせなら、フランス語を勉強していった方がいい。“これいくら?”と数字だけでも言えればなんとかなる。

チュニスのメディナは巨大な迷路みたいなもの、時間に制限のある場合は、あまり変なところに行かない方がいいかなあ。

格安ツアーでも、土産物屋巡りツアーみたいな所はなかった。土産物屋も行ったけど、それほどしつこくはない。

旅行会社によっては、これ見よがしに土産物屋ばっかり回る海外ツアーも多いけれど、買うか買わないかは、本人次第。はじめから小さなバッグを持っていけば、何も買う気にはなれない。

旅は身軽が一番、重いスーツケースはもう止めよう。

 

最後に、旅仲間のMさん。HPに写真掲載の許可を求めたところ快諾してくれた。

ついでに彼女から一言 ”誰か、お婿さんになって下さ〜い”

 

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